弁護士 今田慶太blog

弁護士法人 菜の花

人傷保険の一筆取り付けに関するあれこれ

複数の損保会社の案件を担当していることもあり、扱う交通事故の案件は比較的多いと思います。

近時の実績として、訴訟防御案件で約1950万円の減額(和解)、示談交渉請求案件で約1500万円の増額(示談)等、経験と実績は着実に重ねています。

さて、先般、人身障害補償保険(以下「人傷保険」と言います。)で保険金が支払われる際の「一筆取り付け」について考えさせられる裁判例に接したので、紹介したいと思います。

福岡高裁令和2年3月19日判決判時2468・2469号110頁で、「人身傷害補償保険会社が、被害者の同意を得て加害者の加入する自賠責保険を回収した場合において、これを加害者の被害者に対する弁済に当たるとして、損益相殺を認めた事例」です。

人傷保険とは、加害者の過失の有無及びその割合に関係なく、被保険者(被害者)が身体に傷害を負ったときに、約款所定の基準により算定される保険金が支払われる保険であり、被害者に過失があり、過失相殺がなされる場合でも、被害者自己負担分も含めて支払われる点が特徴です。

被害者に人傷保険金を支払った保険会社(以下「人傷社」と言います。)は、保険法25条1項に基づき、被害者が加害者に対して有する損害賠償請求権を代位取得します。

被害者に過失がある場合に人傷社が代位取得する損害賠償権の範囲については諸説あり、判例は「裁判基準差額説」を採用しています。

次の設例で考えてみましょう。

交通事故が発生しました。

被害者は、自分が契約している保険会社(人傷社)に人傷保険を請求し、人傷社は、6000万円の保険金を被害者に支払いました。

その後、人傷社は、加害者の自賠責保険から自賠責保険金3000万円を回収しています。

さらに、被害者は、加害者に対して、交通事故の損害賠償請求訴訟を提起し、裁判所は、損害総額1億円、被害者の過失割合を4割と認定しました。

この場合、裁判基準差額説は、人傷保険金は被害者負担部分からスタートすると考えますので、被害者の加害者に対する認容額は残りの4000万円となります(1億円-6000万円)。

被害者は、損害総額1億円をすべて回収することが出来ます。

加害者負担部分6000万円

被害者負担部分4000万円

加害者→被害者支払額4000万円

人傷保険金6000万円

さて、上記の設例のように、被害者に過失がある事例において、人傷社が被害者に対して人傷保険金を支払った後に自賠責保険を回収した場合、支払った人傷保険金のうち自賠責保険金相当額について加害者の過失部分に関する弁済に当たるとして損益相殺が認められるのか、それとも、当然に損益相殺の対象となるものではないのかについては争いがあり、①人傷社による自賠責保険からの回収額全てを控除すべきとする全部控除説と、②人傷社が回収した自賠責保険の全部又は一部が人傷社の不当利得となるとする不当利得認容説があります。

損益相殺が認められると、被害者の加害者に対する請求認容額がその分低くなってしまいます。

上記に関連する裁判例として、東京地判平成21年12月22日交民42巻6号1669頁は、被害者の事情ではなく、人傷社の事情(自賠責保険から回収したかどうか)によって被害者が不利益を受けるのは相当でないとして損益相殺を否定しました。

福岡高裁の判例に話を戻します。

福岡高裁の事案は、被害者が人傷社に人傷保険を請求するに際し、事故による被害者の加害者に対する損害賠償請求権は、自賠責保険への請求権を含め、支払った人傷保険金の限度で人傷社に移転する旨の協定書が交わされていた事案でした。その上で、福岡高裁は、「本件協定書の文言は、控訴人(注:被害者)から人傷社に対し、支払った人傷保険金の限度で自賠責保険金の受領権限が委任されたと解するほかないものであり、自賠責保険は、本件協定書に基づく受領権限を有する人傷社に自賠責保険金を支払ったものであるから、自賠責保険が加害者のための保険であることに照らすと、本件協定書により人傷社が受領した自賠責保険金は、控訴人と被控訴人との間においては,加害者たる被控訴人の過失部分に対する弁済に当たると解すべきである。」として、損益相殺を認めました。

福岡高裁の判決は、①全部控除説、②不当利得認容説のいずれの立場に立つかを明らかにしたものではありませんが、協定書の内容から損益相殺を認める判断を下しました。

今回紹介した裁判例は現時点で確定していませんが、人傷社に人傷保険を請求しようとする被害者は、保険金が支払われる際の「一筆の取り付け」について、慎重に対応した方が良いかもしれません。